12月13日に浅香光代さんがお亡くなりになられました。膵臓がんを患っていたそうで、お年は92歳でした。
昔はテレビでよく観ていましたが、もう92歳だったんですね。何やってる人かあんまり知らないんですが、「あーたしゃーねー!」っていうワードは覚えています。確か僕が小学生の時に「あーたしゃーねー!」って言うのが流行っていたので、20年前くらいのことでしょうか。友達もみんな「あーたしゃーねー!」って言っていたのを思い出しました。笑
それで、色々ニュースを見ていると、旦那さんが世志凡太という情報を目にしたので、世志凡太さんって誰だ?と気になったので調べてみました。
世志凡太
さっき浅香光代さんの旦那さんと言いましたが、結婚はしていないようで事実婚だそうです。
1934年1月4日、東京都豊島区生まれの現在86歳。本名は市橋健司。浅香さんとは1992年からパートナーだそうです。
それで世志凡太さんって何やってる人なのか気になったので、職業を調べたのですが、作曲家、作詞家、俳優、コメディアンだそうです。
でもなんだかこれだけじゃ何やってる人なのかわからないんで、もう少し詳しく調べてみると、1957年に「原信夫とシャープス&フラッツ」にベース奏者として参加、その後バントマンとして活躍し、テレビ番組や映画にも出演していたそうです。
なんか面白い動画を見つけました。
これどっちが世志凡太さん?ていうか何これCM?途中早口のところ何言ってるかわかんないし。
わかんないことだらけですが、一つだけわかることはこの動画はめっちゃ面白い。笑
1972年に株式会社市橋プロモーションを設立し、音楽プロデューサーとして「フィンガー5」などを世に送り出したそうです。
今は浅香光代の夫(事実婚)としての露出が多い世志凡太。その出自は名門バンドにも所属したジャズマンであり、エンターテイナー。当時はトニー谷やフランキー堺の後継者とも嘱望されれ、プロデューサーとしてもフィンガー5らを世に送り出した。@retoro_mode pic.twitter.com/HOyjXiBKQT
— 萬象アカネ@レトロ (@bansho_akane) April 20, 2020
なんだかすごい多才な人ですね。ていうかフィンガー5ってあの有名なグループですよね?
だとしたらすごい人じゃないですか。ちょっとフィンガー5についてもうちょい深堀りしてみます。
フィンガー5
フィンガー5は1970年代に活躍した5人兄弟(男4女1)のアイドルグループです。
僕が生まれる前のことですが僕でも知ってるくらい超有名なグループです。
そのフィンガー5を抱えていた事務所が世志凡太が設立した市橋プロだったんです。1973年に世志凡太がプロデュースしたデビュー盤「個人授業」が145万枚の大ヒットを記録し、その後「恋のダイヤル6700」「学園天国」「恋のアメリカン・フットボール」「つばさがあれば」など数々のヒットを記録しました。世志凡太さんも「はっきりいって、フィンガー5には儲けさせてもらいました。」などと言っており、やはりかなり儲けたんでしょうね。笑
羨ましいけど、才能を見抜く力とプロデュース力があったんだと思います。
ちなみにこちらが「個人授業」です。
野村克也
ネットには野村克也というワードも出てきたんで、何なのか調べてみると、世志凡太さんと野村克也さんは大の親友だったそうです。
世志凡太さんの内縁の妻は浅香光代さん、野村克也さんの妻は野村沙知代さん。
そう、あの有名な「ミッチー・サッチー騒動」のきっかけだったんです。浅香光代さんは、当時世志凡太さんと友人関係だった野村克也さんに「仲良くしてほしい」と沙知代さんを紹介されたそうです。
浅香さんと沙知代さんは意気投合し、沙知代さんは頻繁に浅香の家に訪問する間柄になったそうです。しかし、その後舞台共演をきっかけに両者に亀裂が入りました。
その後の流れはみなさんも承知のことかと思います。熟女同士のディスり合い。
そこでさっき僕が言ってた浅香さんの「あーたしゃーねー!」という個人的ビックヒットワードが生まれました。笑
まあ、この「ミッチー・サッチー騒動」のきっかけというか、浅香さんと沙知代さんが出会うきっかけになったのが、世志凡太さんと野村克也さんというわけです。
まとめ
浅香光代さんがお亡くなりになられましたが、パートナーの方がいるとは知りませんでした。
そのパートナーの世志凡太さんはすごく多才な方で、「ミッチー・サッチー騒動」の根本原因だったという面白い事実がありました。
世志凡太さんはまだ生きていらっしゃるので、今後もお元気でいられることを願っております。
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